いつまでも昨日のことのようで

写真を撮っていると、手元には沢山の写真が貯まっていく。
当たり前なことだ。

ここ最近は、それは写真家に限ったことではなく、どんな人でも自分のスマートフォンに沢山の写真が溜まっていることだろう。
写真家とそうでない人、その違いがあるのだろうか。
基本的にない。同じだ。

大切な写真は大切だし、不要と思えば消す。
その選択をいつやるのかどうかに個人差あるだけで、写真は皆んなが持っている。

もし、もしも違いがあるとしたら、何だろうか。
一般的には無いように思えるから、"個人的"にという視点で考えてみようと思う。

僕個人として、スマートフォンと写真機で撮った写真の違い。
積み重なったデータの区別はどうしているだろう。
考えてみると、大きく異なる部分があった。
写真機で撮った写真は、展示やイベント、制作で何度も見返している。
2014年ごろの写真から2023年まで、都度見返している。

これが個人的には大きな違いだろう。

ここで少し話しが変わってしまうが、都度写真を見返している影響をお話ししたい。
年に数回写真を遡っていると、しばらく会っていない人や今は交流が少ない人の写真を何回もみる事になる。そうすると会ってもいないのに写っている人たちを身近に感じてしまう。数年前の過去も昨日のことのように感じる。

この温度差は会っていない時間が開くと、どんどん開いていく。
結果、本当に久しぶりに当人に出会った時に、「よく覚えているね」と驚かれる事がある。
そりゃそうだ。相手からすると数年ぶりだろうし。

ただ、写真を見返している僕としては、あの撮影は数年前ではなく昨日のことのように感じているので、お互いの言葉のニュアンスがすれ違い気味だ。
面白いよね。
主語を大きめにしてみる。

こういう感覚は写真家なら、誰もがお持ちではないだろうか。
積み重なった膨大な写真たちの1枚1枚を見るだけで、その時の自分に戻ることができる。
まるでタイムスリップしているかのように。場合によっては会話も脳内で再生される。

ねぇ、どうですか?
写真家の皆さん。

でもこれってスマートフォンの写真でも同じかもしれない。
原則としては変わらないものだと思う。

また数年時間が流れても、同じことも言ってそうだな。
積み重なった写真は、まだまだ増えていくし。