あと何回、ありがとうと言えるだろう

ここ1年、人生の終わりを意識することが何度かあった。人生の終わり、つまり死なわけだが不思議と恐怖はない。

ただ、途方もなく無力感をおぼえる。

 

どうしたって、それはやってくる。自分の思うタイミングで来るわけもなく、唐突に訪れる迷惑な客のような存在。

自然に、故意に、不意に。
こちらの事情を気にせずにやってくるわけだ。
無力感。
大きな引力に引き込まれるように、僕らは死に向かう。
そんなことは知っているけれど、それでも平凡な日常のなかで、ふいに忘れてしまうのだ。
延々と続いてく日常が、明日も同じようにあると根拠もなく信じてしまう。
「ありがとう」と人に伝えることがある。
言葉でも文字でも、1年のなかで何度も何度も「ありがとう」と伝える。軽い気持ちでいうこともあるし、思いを込めて伝えることもある。それがどんなものでも、相手への敬意と尊厳を受け入れる気持ちがある。

ここ1年、人生の終わりを意識して感じた無力感。
この言葉が、その無力感を少しだけ消してくれている。

生涯を終える前に、あと何回「ありがとう」と言えるだろうか。先立つにしても看取るにしても、おそらく多いほうがいいことは間違いないのだろう。